2017年1月に、一人目の息子が、私たち夫婦のもとへとやってきました。ものの見方ががらりと変わり、たくさんの気付きを与えてくれます。その気付きを、みなさんと共有したいと思っています。特に、子供との接し方や考え方に悩む親御さんに読んでいただけると幸いです。

「ゆらのとノート」の由来

 私なりの思いがあって、この「ゆらのとノート」というタイトルにしています。

 

「謙虚な姿勢で、思い切って行動しよう。そして、在り方も大事にしながら、同時に技巧の鍛錬も怠らないでいよう」

 

という思いです。 

 

 私は、どうしてもテクニックや知識に頼りがちになり、理論武装をして頭でっかちになりがちです。そのくせ、えらそうに虚勢を張り、強がりを言ってしまいます。

 だからといって、何も学ばず、自己流でいれば、それこそ自己満足ではないでしょうか。

 

 やるときはやる、考えるときは考える、進むときは進む…決して傲慢にならず、謙虚な姿勢で、一点を刺す…そんなあり方を心に留めておきたいのです。

 

 百人一首の四十六番歌を、ご存知でしょうか。

 

「由良の戸を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな」

---曽禰好忠(そねのよしただ)

 

 「由良」は、京都から若狭湾に流れ出る一級河川由良川のことです。河口周辺は、淡水と海水が出会うところで、水の流れは複雑に変化します。なので、小型の舟が河口を渡るには、相当の技量が必要です。

 

 そして、歌は「渡る船人かぢを絶え」と続きます。「絶え」というのは、消えるという意味で、つまり、河口のような操船の難しいところにいながら、かぢをなくしてしまっている状況を上の句で詠い、それを下の句で、深い霧の中を行くような「恋の道」とつなげているわけです。

 

 作者の曽禰好忠は、大変に優秀で、天才とも言える歌人でした。同時に、大変プライドの高い人物でもありました。

 

 こんな逸話が残っています。

 ある格式高い歌の集まりに、曽禰好忠は、招待もされていないのに、「私は招待されて当然の人物だ」と勘違いし、ちゃっかり招待席に座ってしまうのです。結果、会場から追い出されてしまいます。

 

 「かぢを絶えゆくへも知らぬ」となってしまったのは、歌のために我を張りすぎ、自分が見えなくなってしまった曽禰好忠本人だったのです。

 「恋の道」とありますが、実際に行方がわからなくなっていたのは、「人の道」だったのかもしれません。

 

 ひとつまえの四十五番歌と比較して考えましょう。

 

「あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな」

---謙徳公

 

 超訳すると、「あなたはまさか…私と付き合わないような、憐れでお気の毒な人なんかじゃあありませんよね。そんなことをしたら、あなたの人生は、ただむなしく死んでいくだけの人生になってしまいますよ」です。

 

 謙徳公は、普段は物静かで控えめな性格であったが、大事な女性に対しては、ものすごい強引さを発揮したわけです。「俺があなたを最高に幸せにしてさしあげる。その地自信がある!」という思いです。日ごろはおとなしい人物が言うからこそ、言葉に迫力と真実味が増します。

 

 さらに一つ前の、四十四番歌も見てみましょう。

 

「逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし」

 

 超訳すると、「男女関係など、この世からなくなってしまえば、相手のことも、自分のことも恨まずにすむのに…。でも、だからこそ恋愛は素晴らしい!男女が愛し合うことによって、時代は紡がれていくのだから。」

 

 一世を風靡した天才であっても、やがては老い、この世から消えていきます。後から生まれてくる人は、常に自分の前を歩いているのです。その謙虚さを忘れてはいけません。

 

 つまるところ、天狗になって、斬新な方法で歌を作っていたと勘違いし、得意げになり、「言葉遊びに終わっている」といわれた曽禰好忠でしたが、私は、態度と同時に、技術も大事だということも胸に留めておきたいのです。

 

 歯を治せない歯医者さんに、いくら情熱があっても、診察してもらいたいとは思わないのと同じようにーーー。

 

参考文献:ねずさんの日本の心で読み解く百人一首~千年の時を超えて明かされる真実~ 著:小名木善行