「困った子だねぇ」のワナ
こんばんは!
人間の意識は、潜在意識と、顕在意識に別れていると言われています。
いわば、意識と無意識ですね。
計算をしたり、言葉を選んだりするのは、論理や思考に関することは、概ね意識の仕事です。物事の良し悪しの判断もしていると言われています。
筋肉を動かしたり、瞬きさせたり、呼吸をしたりするのは、無意識の仕事です。癖や思い込みを作り上げ、積み上げていくという仕事もしています。
だいたい、7歳ぐらいをまでは、潜在意識が活発に活動し、思い込みや自分自身、世間に対するイメージを形成していくと言われています。
めちゃめちゃ素直な子が、7歳ぐらいまで続く、という感じです。
なので、7歳ぐらいまでに周りに言われたことを信じるようになります。
「お前はバカだ」と言われ続けると、「私って、バカなんだ」と思い、
「あなたは天才だ」と言われることが多いと、「私は天才だ」と思い込むようになりやすくなります。
小さい子は言葉がわからないなんていう人もいるようですが、まぁ言葉の意味はまだ理解し切れてはいないと思いますが、相手の気持ちは1歳ともなれば汲み取れています。
泣いて泣いておやつをねだっている時に、
「困った子だねぇ」とか、「わがままな子やなぁ」とか言うと、
「私は人を困らせる人なんだ」とか、「私はわがままだ」と思うようになります。
じゃあ、駄々をこねている子供に対して、私はどうしたらいいのか?
「私は、とても困っている」
それだけでいいじゃないですか。
時間がなかったら、
「次の予定に間に合わないから、もう行くよ。申し訳ないね。」
少なくとも、
「わがままばっかり言わないの!行くよ!」
って、相手のせいにばっかりは、したくないと思います。
自分にしっかり責任を持った生き方をしたいと思います。
親だからといってカッコつける必要はない。
こんばんは!
やってほしくないことがあるときは、できるだけ具体的に理由を述べるようにしています。
その時に、どうしてもカッコつけた理由を言ってしまうことがあります。
「ほら、こっちの長袖の方がカッコいいでしょ?」→「寒なって来て風邪引かれたら面倒やから、長袖着といてくれる?」
「ほらほら、テレビ、面白いのやってるから、見てて!」→「ちょっと洗濯物を干したくて、つきまとわれたら面倒やから、テレビ見るか何かしといてくれる?」
などなど。
本当は自分の都合なのに、別の理由を作ってしまいます。子供は、勘付くと思います。なんだか、ショックそうに、しゅんとする姿をよく見ます。
自分がめんどくさいときは、正直に、「めんどくさいから」と言えばいいと思います。
その時も、めんどくさそうにいうというよりは、毅然と、「面倒だから」と言えばいいと思います。
かっこいい理由があれば言いますが、別に無理にいう必要はないですし、どれが本当の理由なのか、正直に生きていきたい、そんな生き方をしたいです。
やってほしくないことがある時は
こんにちは!
できるだけ子供に対して、自由にさせてあげたい、とは思うけれど、実際は危険がいっぱいの世の中です。
そのバランスを取るのがはなかなか厳しいのが現実です。
道路に飛び出す、包丁を持つ、テレビを倒す、オムツを履かない、などなど…
やってほしくないことは挙げ出すとキリがありません。
そんな時に、私が気をつけているのは、できるだけ具体的な理由も一緒に伝えるようにしています。
「危ないからダメ」では、ちょっとまだわかりにくいです。
「ダメだからダメ」理由を言ってる感じになるけど、理由になってない。
「とにかく、ダメったらダメ」理由すら言ってない笑
「道路に出ると、車が来て怪我をするので、歩道にいてね」
「包丁を持って、落としてしまうと、足に刺さって怪我をしたり、他の人に当たってもその人が怪我をするから、ちゃんとした場所に置いておくか、返してくれる?」
「テレビはとっても高価なもので、壊れてしまうともう買えないので、離れて見るだけにしてくれる?」
などなど…
めんどくさいですか?
大人は、ひとつひとつの減少に潜む危険性と可能性を、十分理解しています。
きっと、子供は、忘れています。もしくは、知らないかもしれません。
その子に対して、「危ないからダメ!」「ダメったらダメ!」は、ちょっと雑ではないでしょうか。
いや、たしかに、忙しかったりイライラしているときは、「もう!とりあえずあかんってば!」って言いますよ、ええ言います笑
でも、できる限り、理由があることに関しては、しっかり説明したい。そんな生き方をしていきたいと思います。
「面倒を見る」という言い方のウソ
こんにちは!
子供がいたって、子供がすべての生活ではないし、自分の趣味に興じたいものです。
もちろん、小さい子供がいて、私用で出掛けるとなると、親か、祖父母、ベビーシッターとなる方が必要になってきます。
そうなると、夫婦の会話はこうなります。
「晃生の面倒は、誰が見る?」
…まぁ、面倒の語源とか由来とかは置いといて。
要するに、子供のお世話は、面倒だってことです。
これ、もし誰かに言われたら、めっちゃ傷つきます。
「にったんの面倒は誰が見る?」
「…!?そんなんやったら、もうほっといてくれ!!」
って思ってしまいます。
子供も、きっと言葉に出してなくても、そう思ってると思います。
つい、イライラしていたり、どうしても行きたい用事があったりすると、「面倒見て、お願い!」と言ってしまいますが…
できるだけ、「晃生と一緒に過ごすのはどっち?」とか、「晃生と遊ぶのはどっち?」とか、面倒や世話、とは、違う表現を使うように心がけています。
その都度、言葉がけを考える生き方をしていきたいと思います。
気まずい夫婦関係をなくすために。
おはようございます。
子供との関係以上に大切にしたいのは、夫婦関係です。
子供は、別に私の所有物ではないので、どう生きるのかはわたしたちは関与できません。責務として、経済的自立をするまでの援助をしなければならないだけであって。
子供が小さい間は、どうしても夫婦自体に関する会話が減ったり、スキンシップ自体が減ったり、関係が気まずくなりがちです。
男性はもともと世話をするのが好きな生き物ではないし、女性は忙しい中、セックスをしたいと思う生き物はないらしいです。
気まずくなる要因の1つは、「お互いがお互いに、何をして欲しくて、何をして欲しくないかを把握していない」ことです。
だから、私たちは、パートナーシップをよくするためのボードを作っています。
夫は妻に何をしてほしいか、何をして欲しくないか。
妻は夫に何をしてほしいか、何をして欲しくないか。
見えるところにボードを射て、一つ一つ、ポストイットに要求を書いて貼り付けています。
意外と、「え?こんなことしてほしいの?」とか、「えっ、これ、喜ぶと思ってたのに…」っていうのが出てきます。
一度、試してみてください!
「おしょうゆ入れすぎよ!!」のウソ
こんにちは!
小さいうちは、加減っていうのが分かりません。
大人になると、やりすぎることを恐れて、やらなくなります。
うちの子ももう1歳半を過ぎ、大人とそんなに変わらない食事をしています。
こないだ、二人で夜ご飯を食べていた時のことです。
お皿の上に、豆腐を用意してあげました。
私は豆腐に醤油をぽたぽたとかけました。
晃生も、それを見て、まねをしてかけました。
もちろん、ぼとぼとーってかけちゃってました。かけすぎて余ってました。
「かけすぎ!」と、止めそうになりましたが、まぁ別にええかと思って、そのまま見てました。
そうすると、水が入ってるコップにも入れ出しました。
「しょうゆは水に入れたらあかんよ!」と、言いそうになりましたが、言うのをやめて、見守ってました。
そうすると、そのしょうゆで濃くなった水を、晃生は飲みました。
当たり前ですが、「うぉえ」って咳き込んで、不快な顔をしていました。
結局、その日から醤油を入れすぎることはなくなりました。
わたしたち大人は、結末を知っているが故に先回りして、
「醤油をかけすぎないように!」とか、
「水に入れたらあかん!」とかいうけど、
醤油やマヨネーズををかけすぎたからって、どうなりますか?
実際、いくらもかかりませんぜ。
せいぜい、かけすぎたって100円分ぐらいです笑
洗剤を水に入れて飲んだらあかんけど、醤油ぐらいなら、いいじゃないですか。マヨネーズ出しすぎるぐらい、いいじゃないですか。
あんまり先回りせず、できるだけ見守れるようにして生きたいと思います。
ずっとずっと、先回りなんてしてあげられないんだし、むしろ先をいっているのは子供達です。
お茶に醤油を入れる息子⬇︎
毅然と、同じように、何度でも、説明する
こんにちは!
わたしたち夫婦は、結婚したって、相変わらずよく出掛けます。
スポーツをしたり、友人と会ったり。
ママ友も多くなって、小さい子がいるママは、なぜか夜に出掛けたがらない。不思議です。子供が小さいから…とかなんとか言うけど、子供が小さいから夜に出掛けないのはよく分かりません。
うちの奥さんは、よく出掛けます。仕事終わりの平日の夜でも、関係ありません。そして、それに対して私は別に特に何も思っていません。
もちろん、ママが出掛けている時は、私と晃生は、おうちで二人きりです。
まだまだ、「ママ〜!ママ〜ぁ!」と叫びながら、何度も、私の元へ迫ってきます。
ママの靴、ママのブラジャー、ママのカバン、ママの枕、ママの服…
うるうるした目で、これらのものを差し出されます。
「どないせーっちゅうねん笑」と思いながらも。
私は、同じように毅然とした態度で、
「ママはおでかけしてて、まだ帰ってこないよ。」
と言います。と、言うしかありません。
怒って、
「もう!何度、同じことを言わせるの?!」
って、怒りに負けて、強く言う必要はありません。
何度も何度も、毅然と、
「ママはおでかけしてて、まだ帰ってこないよ。」
「ママはおでかけしてて、まだ帰ってこないよ。」
「ママはおでかけしてて、まだ帰ってこないよ。」
その度に、しゅんとして去っていきますが、別に泣き叫ぶことはありません。
一度言って分からないから、迫ってくるのであれば、もう一度言ってあげればいいだけじゃあないですか。
怒って声を荒げる必要は全然ありません。
私は、気を反らせる必要もないとさえ感じます。
おもちゃで遊びたければ遊びますし、テレビを見たければ見るし、眠たければ寝ます。
「毅然とした態度で繰り返し伝えれば、いつかは理解してくれる、かもしれないし、理解できないかもしれない。でも、理解できると信じてる。」
そんな関わり方を続けていきたいです。